2011/11/04

Kindle4の電源が入らなくなった

Kindle4の電源が入らなくなって、調べたら15秒ほど電源スイッチを長押しすれば良いらしい。

ちょっとしたTips。

2011/05/07

シリコンバレー旅行記-Part2

ちょっと間が空きましたが、前回に引き続きシリコンバレー旅行の記録を。
(前回の記事:シリコンバレー旅行記-Part1

-現地2日目
この日はStanford Universityへ行ったり(夏にも行った)、


Appleの本社へ行ったりしました(ここも夏に行った)。夏に行った時はcompany storeがopenしててApple goodsをたくさん見たけど、この日は日曜でお休み。


Apple本社の横にあった店で食べたlunch.... 自分がオーダーしたもの。


友人がオーダーしたもの。

、、アメリカン。適当に店に入るとアメリカはこんなのばっかですね。いや、もちろん色々店はあるんだけど。。

この日の夜は適当に見つけたちょっと安めのホテル(モーテル)へ泊まる事にして、荷物を置いて日本の地震の情報を収集していたら爆睡してしまった。

この夜、散歩がてらStanfordの学生が夜勉強しに来るというドーナツ屋でコーヒーを飲みに行ってみたのだが、ちらちら周りを見ていると、PCのパーツをいじりまくってるテッキーなじいさんや、分厚い統計学の本を見ながら勉強をしている学生、何かを企んで(?)複数人でwebサービスを作っている学生など、Stanfordらしい雰囲気を少し垣間みれた気がした。。



次回へ続く。

2011/03/28

シリコンバレー旅行記-Part1

この度被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

震災があった頃私は何をしていたかというと、SVC(シリコンバレーカンファレンス)というのに参加するために、カリフォルニアへ行っていました(今年度2度目)。

-旅行前...
レンタカーやらホテルやらを手配。国際運転免許証は夏に取っていたので、期限は1年間ということもあり、特に手配等なし。レンタカーも以前使ったところの同じグレードのものを選んで予約しました。

-出発予定日
14:48、東日本大震災発生。。私はこの時オフィスにおりましたが、強い揺れが非常に長い間続きました。特に被害はありませんでしたが、静岡県出身ということもあり、大きな揺れの瞬間には必ずと言って良い程故郷が震源かと心配してしまうものです。深夜0:05羽田発サンフランシスコ行きの飛行機に乗る予定でしたが、案の定欠航。東京の電車はほぼすべてストップし、そもそも羽田へもたどり着けない状況でした。この時点でカリフォルニア行きは諦め、レンタカー、ホテル等をすべてキャンセルしました。その日は近所に住む先輩が家まで車で送ってくださるということで、しばらく会社におりましたが、備蓄倉庫から食料が配られる等、非常事態感たっぷりでした。送ってくださった先輩には大変感謝しております。


-出発予定日+1day
昼頃ダメもとで羽田空港のカウンターへ行くと、SFO行きの空席待ちカウンターが設置されており、そこで問い合わせてみることに。一緒に羽田に着いた友人と2名分のパスポートを渡すと、なぜかすぐに搭乗券が発券されてしまいました。同じ便に乗る予定の友人がもう1名いたのですぐに報告。その友人もすぐに羽田に駆けつけ、何とか3名とも搭乗券を手に入れることができました。羽田空港の国際線ターミナルは、思っていた程大きな混乱もなく平常通りの混み具合だったと思いますが、一晩夜を空港で過ごした方々が毛布にくるまっていたりして、非常事態であることを再度認識させられました。

夕飯を食べた後、時間があったので羽田のラウンジで地震の情報を収集したりレンタカーやホテルの再予約をしつつ、休憩。その間も幾度となく緊急地震速報が流れていました。おそらく、いつ再度欠航が決定してもおかしくない状況だったと思います。

しかし、我々を乗せた便は大きな時間変更もなく、サンフランシスコ国際空港へと飛び立ちました。


-到着後
現地時刻(PST)16:00過ぎにサンフランシスコ国際空港に到着後、空港のレンタカーセンターで車を借りました。空港を出るとすぐに101(ワンオーワン)と呼ばれるハイウェイ。このハイウェイを南へ向かって30〜40 miles程運転して、まずはホテルまで。


1日便が遅れたのでこの日に開かれたカンファレンスには参加できない事は確定していましたが、夜開かれる懇親会には少し参加できそうだったので、ホテルに荷物を置いて歩いて懇親会会場へ。途中からの参加ということもありアウェー感を感じながらも100人を超えると思われる大所帯の中から少しずつ知り合いを見つけたり、現地で働くエンジニアの方々と話したりしました。

この日の話で印象に残っている事は、シリコンバレーで働く人は必ずしもシリコンバレーにこだわっていないということです。「別にシリコンバレーじゃなくてもいい」という言葉を何回も聞きました。歴史的な流れでシリコンバレーにテクノロジー企業が集まるようになったのは確かですが、こうやってフットワークが軽く実行力がある方々が集まるからこそ人材が人材を呼び、さらに投資を呼ぶという良い循環ができているのでしょうね。たまたまそれがシリコンバレーだった、と。

(続く)